伊奈ヶ湖 白鳥の秘話


伊奈ヶ湖の秘話 白鳥物語

       ノンフイクション 野之瀬 白鳥 作

♣ ろーぐ♥ Prologue

昭和44年県民の森「伊奈ヶ湖」に9月16日

コブ白鳥1羽が放たれた。

(櫛形町観光協会・つがい2組4羽のコブ白鳥)



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第1話

 伊奈ケ湖に放たれたコブ白鳥は、昭和41年10月に新潟県水原町から山梨県におくられたもので、甲府市の武田神社のお堀で飼育されていたうちのオス1羽の白鳥がプレゼントされた。

 昭和44年9月16日は、県林政課・進林計画課の係員によって湖まで運ばれてきた。白鳥は、今までより広い所に来たので、最初は戸惑っていたが、すぐに元気に泳ぎ回っていた。

県では、1羽ではかわいそうなので、来春までにお嫁さんをさがしている。一方町でも白鳥の飼育管理を考え白鳥愛護会を立ち上げる予定でいる。メス白鳥のお輿入れを前に、西地区の青年団が協力して湖畔にすでに新居が出来上がっている。

 それ以来、櫛西小の子どもたち全員で、白鳥の世話をしてきた。昭和45年3月、滋賀県の彦根城のお堀からお姫様のメス白鳥1羽がお輿入れして、ここに目出度く白鳥夫婦が誕生した。

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このつがいの白鳥には、6羽のかわいいヒナまで誕生し、子どもたちを喜ばせていた。ところが、6羽のヒナが次ぎ次ぎにタカにおそわれ殺されてしまった。ヒナを殺された悲しみが癒えぬ母鳥は、ほかにも何か大きなショックを受けたのか病に倒れ、その年の夏には、オスの白鳥を残して他界してしまった。晩秋の湖には最愛のメス白鳥を失い、悲嘆にくれる1羽のオスの白鳥の姿があった。そんな姿をかわいそうに思った人々が、その年の秋にオスの白鳥をつれて、仲間の白鳥がたくさん飛来する“白鳥の湖”として有名な新潟県北蒲原郡水原町(現在の阿賀野市)の「瓢湖」に運んだ。

開けて、昭和46年10月13日には、この「瓢湖」から新しく若いつがいのコブ白鳥が2羽もらわれてきた。ところが、その年の春にメス白鳥は、3個のたまごを生んだもののヒナは育たず、またもや同じような病にかかり、あえなくその年の夏には、帰らぬ白鳥となってしまった

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相次ぐメス白鳥の死に落胆した子どもたちは、「今度こそ」と決意を新たに「残されたオスの白鳥を大切に飼うこと」を決め、毎月1回「もみがら」などのえさを集めることにした。それを、越冬用のえさとして貯蔵庫に置き、当時、ロッジを管理していた神田卓さんにお願いして、集めたえさを白鳥に与えてもらっていた。やもめ暮らしを続けていたオス白鳥を守り育てていた西小の子どもたちに一通の吉報が届けられた。              

第2話

 吉報の連絡は、横浜市中区松影町の京浜鳥獣貿易センターからだった。 こうして、昭和48年2月に、「1羽のコブ白鳥のメス鳥(3才)」の嫁入りがきまった。鳥獣センターから県猟友会と県野鳥の会がこのコブ白鳥を譲り受け、伊奈ヶ湖へプレゼントした。6日、これまで世話をしてきた、櫛形西小白鳥愛護会(上田幸子会長)の子どもたちが見守る中を花嫁の白鳥は元気にオスの白鳥の所まで泳いでいってめでたく結婚式を挙げることができた。三度目の夫婦出現に子どもたちや管理人の神田さんも「今度こそ無事に卵を産み、かわいいひなをかえしてくれよ」と祈った。しかし、みんなの祈りもむなしく、その年の春には、心ない釣り人の捨てた釣り針を飲み込んで1つがいの白鳥は死んでしまった。

第3話

たまたまテレビ番組で「山口県宇部市にある東洋のレマン湖と呼ばれている常盤湖には、8種500羽もの白鳥類が棲んでいて、全国の動物園や公園の動物を増やすために「動物交換」をしていること」を知った子どもたちは、宇部常盤公園の園長さんに「白鳥をお世話してください」と手紙を出した。この公園には全国からの要望が多く、要望した所には1つがい十数万円で譲ってくれていた。手紙を受け取った笹田園長さんも「なんとかこどもの夢をかなえてあげたいのだが・・・」と思案していた。・・・・

平成6年中野のAさん撮影


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 第4話                    

「子どもたちの為に援助を…」と、呼び掛けたところ、地元の峡西ライオンズクラブと小笠原ロータリークラブが、浄財の寄付を申し出てくれた。昭和49年3月に櫛形町の杉山正直企画課長さんと櫛形西小の藤本富造校長先生が常盤公園を訪問して、ふ化や飼育方法等を教えていただいて帰ってきた。

7月3日オスの白鳥2羽とメスの白鳥2羽は宇部空港から全日空機で羽田空港まで空輸されてきた。羽田空港まで、児童代表と櫛形町の関係者が迎えにいって、4羽の白鳥を受けとった。

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  その時、帰るのが遅くなったので… 空輸されてきた白鳥たちは櫛西小学校で一泊して旅の疲れをいやして元気を取り戻した。翌日には伊奈ヶ湖の下の菖蒲池に放された。湖には白鳥のために巣ごもり小屋とえさ箱も設置された。子どもたちは、贈られた4羽の白鳥にそれぞれ名前を付けて世話をすることにした。メスの白鳥には(ロリータ・ホワイトクイーン)、オスの白鳥には(ゴンベとホワイトキング)と命名した。4羽の白鳥は、再び櫛形山のシンボルとなった。櫛形町では、幾度となく不幸に見舞われる白鳥を守るために、伊奈ヶ湖での釣りを一切禁止する立札を立て、きびしく監視することにした。それ以後元気に成長した4羽の白鳥。

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櫛形西小学校校庭で行われた白鳥の贈呈式と、菖蒲池に放たれた4羽のつがいの白鳥(昭和39年7月10日広報くしがた7月号)

第5話

そして1年、櫛形山を訪れるハイカー達の目を楽しませていた白鳥たちに、またまた災難が訪れた。人造湖である伊奈ヶ湖に漏水が見つかり、改修工事の為に湖の水を抜かれてしまって白鳥たちは大ピンチ。南伊奈ヶ湖は、漏水調査と工事のため、湖水の水を全て抜かれてしまった。湖を追われた4羽の白鳥たちは、湖の中央に残った小さな水たまりで、翌年の四月まで、ここで寒い冬を越すことになった。

この年にはアヒルも12羽も放され、例年より餌の消費量が4倍に増えてしまった。水攻め・兵糧攻めにあった白鳥を何とか救おうと、河野校長や櫛西小学校の飼育部長(小林さん)は、町内の櫛形北小・豊小・小笠原小・櫛形中学校にえさ集めへの協力を呼び掛けた。「このままでは、白鳥がかわいそう!氷点下17度にもなり湖も凍ってしまう」


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昭和52年12月16日(金)山梨日日新聞掲載記事から

わずかに残った水溜まりに棲む白鳥にえさをやる児童





























第6話

 「ピンチの白鳥を助けて」と各地の仲間に呼びかけて

 いた櫛形西小学校には、年を明けても餌がぞくぞく届

 けられ、いつもの年よりたくさんのえさが集まった。

 これに感激した児童たちは、餌を届けてくれたすべての

 人たちに、自分たちで撮影した白鳥の元気な姿のカラー

 写真を添えて「白鳥のえさありがとう」のお礼状を授業の

 合間をぬってせっせと書くことに決めた。

 (この時の写真をお持ちの方はいらっしゃいませんか?)    

 
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お礼状を授業の合間をぬってせっせと書く子どもたち

(昭和53年2月11日山梨日日新聞記事から)















 






昭和62 63 64(平成元年)

平成2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

平成12 平成13 平成14 平成15 平成16

平成17 平成18 平成19 平成20 平成21

 昭和53年~昭和56年までは、調査中 

 その後の経過

昭和56年(1981)櫛形西小の児童は、

毎年伊奈ヶ湖周辺の清掃を行っている。5月コブ白鳥2羽健在

昭和57年 6月 最後の1羽も死んだ

昭和58年11月20日 

ロータリークラブとライオンズクラブから新たに6羽(メス2羽・オス4羽)の コブ白鳥が寄贈される

 

昭和59年11月20日横山善和校長 餌集めの時 5羽確認 

昭和61年 12月5日桜田俊彦校長コブ白鳥オス2羽メス1羽健在 

昭和62年 7月18日伊奈ヶ湖の白鳥の世話、県民の森の巣箱設営

・・評価される。10月 第1回県植樹祭、県民の森伊奈ヶ湖で開催

平成 元年 6月16日 県民の森菖蒲池園地整備完成 

白鳥2羽確認

平成14年まで、南伊奈ヶ湖と菖蒲池に2羽づつ合計4羽確認

平成16年南アルプス市の観光課長

(穂坂二朗氏現部長)が東京の業者からコブ白鳥のつがい2羽購入

して南伊奈ヶ湖と菖蒲池に放つ

 平成19年11月21から平成21年7月28日(現在)

 ♥♥菖蒲池に1羽確認♥♥

第7話

 平成12年つがいの白鳥には、数羽のヒナが生まれた。

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 平成12年つがいの白鳥には、数羽のヒナが生まれ楽し暮らしていた。

れから数カ月して風切り羽も大きくなりたくましく成長した若鳥は、母鳥を慕って住み慣れた菖蒲池を後に巣立ちの初飛行を試みた。 

母が生まれた東京をめざして飛び立ったものの、方角も良く分からず,

それにお腹もすいていたので若草の田んぼに舞い降りた。

田んぼのタニシをついばんでいたその時、後を追ってきた櫛形町

観光課の職員に取り押さえられて、菖蒲池に連れ戻されてしまった。

 菖蒲池

 




9話


平成16年春、櫛形町観光商工課長・穂坂二朗氏が

東京の業者から取り寄せたコブ白鳥のつがい2羽を入れることにした。

南伊奈ヶ湖には、夫婦げんかの末、その傷がもとで

死なせてしった、気の強いうメスの後家白鳥がゆ

ゆう自的な生活をしていた。そこへ都会育ちのダ

ディなオス白鳥が婿入りすることになった。

田舎育ちのメス白鳥は、一目でこのオス白鳥が気

入ってしまった。

一方菖蒲池には、メスを猛禽か狸に襲われ死んで

しまった、美しい白鳥の妻が忘れられず悲嘆に暮れ

ていたオス白鳥が1羽棲んでいた。

ここには、都会育ちで見目麗しく清楚なメス白鳥が

嫁入りした。前妻の事などもうすっかり忘れて新しい

嫁とすぐに中睦まじい生活がはじまった。



10話

 

 ♣♥♥エぴろーぐ♥ Epilogue

そんな白鳥の姿を見て、いつの白鳥の世話をしているロッジの管理人さんや観光課の職員そして我が西小学校の児童・地元西地区の住民から南アルプス市へ「伊奈ヶ湖の白鳥を増やしてほしい」という要望が何度か出されている。

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第9話

平成16年南アルプス市観光商工課の穂坂二朗(当時)氏が、東京の業者からコブ白鳥のつがいを2羽購入して、菖蒲池へは、メス白鳥を、南伊奈ヶ湖へはオス白鳥を放鳥した。

こうして、菖蒲池と南伊奈ヶ湖に2組のコブ白鳥のカップルが誕生した。

ところが、南伊奈ヶ湖に婿入りした、都会育ちのダンディなオス白鳥は、田舎娘のメス白鳥が気に入らず毎日餌のとりあいで夫婦喧嘩を繰り広げていた。

結局やわなオス白鳥は、傷ついて弱ってしまった。しかたな住み慣れた伊奈ヶ湖をあとにして、安住の地を求めて白根の方で老後を過ごしていると噂を風の便りで聞いた。(平成19年春)

一方、菖蒲池で楽しく暮らしていたおしとやかなメス白鳥も、華やかな都会の暮らしが忘れられず、山奥に嫁に来た事悔み嘆き悲しんでいた。ところが、あるとき些細なことから夫婦げんかになり、それが原因で若いメス白鳥は、短い一生を終えてしまった。

その後、南伊奈ヶ湖にメスの白鳥、菖蒲池にオスの白鳥が残されて、2羽とも「さみしいやもめ暮らし」を余儀なくされていしまった

 

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平成21年10月15日(木)

午前11時ごろ菖蒲池にて

健在・・・今年も白鳥のえさ集め

が行われます。11月18日

第10話

南伊奈ヶ湖に棲む後家のメス白鳥は、東京から来た若い婿さん

と喧嘩をして傷つけてしまったことを悔んでいた。                            

一人になってしまったさみしさに耐えかねず、南伊奈ヶ湖のメス

白鳥は、菖蒲池に棲むオス白鳥を恋しく思って下に降りることに

した。(昔一緒に暮らした事があった。)                                            

 これまでの生活を深く悔い改めまた、短気でわがままな性格を     

改めて努力して夫婦円満に生活したので、春にはめでたく2個の

卵が生まれた。そんな喜びもつかの間、産んですぐに1個は、カラスに

襲われ食べられてしまった。                                                                              

哀れに思った管理人さんが、残りの1個を隣町の「雉を育ていいる」雉屋

さんにお願いして抱卵してもらうことにした。                                                    

 しかし、その後雉屋さんとは、音信不通になってしまった。                             

(たぶん憶測ですが・・・オスの白鳥がお年寄り(推定10歳?・・                    

人間で言えば60歳ぐらい?)なので無性卵のためふ化しなかった              

ようです。)                                                                                                                    

やっと取り戻した幸せな生活もつかの間、5月には、メスの白鳥は、

なくなってしまった。                                                                                                    

 また、孤独な老白鳥のひとり暮らしが始まった。

以来、現在まで続いている。

 ロッジの管理人さんの話「菖蒲池のコブ白鳥のおじいさんの

性格は、激しく、何度か嫁をもらったが、うまくいかない頑固者

である。それでも寄る年波には勝てず、今では、4羽のカルガモ

のお茶飲み友達と毎年秋から冬に伊奈ヶ湖を訪れるマガモ

(20羽ほど)と遊んで余生を過ごしている。なんとか白鳥をふや

して昔のように伊奈ヶ湖を「白鳥の湖」にしたいのだが・・・」

                    平成20年初冬のインタビュウより

 


    




 

 



































 





























第9話

平成16年南アルプス市観光商工課の穂坂二朗(当時)氏が、東京の業者からコブ白鳥のつがいを2羽購入して、菖蒲池へは、メス白鳥を、南伊奈ヶ湖へはオス白鳥を放鳥した。

こうして、菖蒲池と南伊奈ヶ湖に2組のコブ白鳥のカップルが誕生した。

ところが、南伊奈ヶ湖に婿入りした、都会育ちのダンディなオス白鳥は、田舎娘のメス白鳥が気に入らず毎日餌のとりあいで夫婦喧嘩を繰り広げていた。

結局やわなオス白鳥は、傷ついて弱ってしまった。しかたな住み慣れた伊奈ヶ湖をあとにして、安住の地を求めて白根の方で老後を過ごしていると噂を風の便りで聞いた。(平成19年春)

一方、菖蒲池で楽しく暮らしていたおしとやかなメス白鳥も、華やかな都会の暮らしが忘れられず、山奥に嫁に来た事悔み嘆き悲しんでいた。ところが、あるとき些細なことから夫婦げんかになり、それが原因で若いメス白鳥は、短い一生を終えてしまった。

その後、南伊奈ヶ湖にメスの白鳥、菖蒲池にオスの白鳥が残されて、2羽とも「さみしいやもめ暮らし」を余儀なくされていしまった

 

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平成21年10月15日(木)

午前11時ごろ菖蒲池にて

健在・・・今年も白鳥のえさ集め

が行われます。11月18日

第10話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 




 平成12年つがいの白鳥には、数羽のヒナが生まれ楽し暮らしていた。

れから数カ月して風切り羽も大きくなりたくましく成長

した若鳥は、母鳥を慕って住み慣れた菖蒲池を後に巣立ちの初飛行を試みた。 

母が生まれた東京をめざして飛び立ったものの、方角も良く分からず

それにお腹もすいていたので若草の田んぼに舞い降りた。

田んぼのタニシをついばんでいたその時、後を追ってきた櫛形町

観光課の職員に取り押さえられて、菖蒲池に連れ戻されてしまった。    













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